日本語版に寄せて

Fogel Karl [FAMILY Given]

2009年5月6日 ニューヨークにて記す

 本書の英語版(『Producing Open Source Software』)が世に出たあと、 この本は翻訳者のコミュニティーに翻訳してもらえるようになりました。 これは名誉なことですし、私にとって予想外のことであり、喜ばしいことです。 翻訳作業にあたっては、私は彼らの翻訳のほとんどを受動的に受け入れていただけでした。 残念なことに私は日本語が読めないので、この日本語版の翻訳についても同じことが言えます。

私は翻訳の中身についてはコメントできませんが、少なくとも翻訳してくれた人たちについてはコメントできます。彼らは初めから終わりまで翻訳を楽しんでくれました。私の仕事はといえば、彼らが作業するための環境(リポジトリやメーリングリストなど)を整えて、必要なときに質問に答えたら、あとは彼らの作業の邪魔をしないようにするだけでした。  私が整えた作業環境も、特に作業しやすいというわけではありませんでした。翻訳作業にあたっては、コンピューターの言語と人間の言語の中間にあたる、文書を生成するための言語をXMLで記述する必要がありました。さらに、文章を記述したファイルというよりはむしろ、プログラムのファイルを管理するのに向いているチェックイン/チェックアウト方式のシステムを使わなければなりませんでした [1]。  彼らはこうした負担に文句も言わず我慢してくれましたし、翻訳をしながら英語版の間違いまで修正してくれる人もいました。ちょうどフリーソフトウェアのように、コードに対して多くの眼を光らせることで、オリジナルの作者が見逃していたバグ(間違い)を発見していたのです。

 もちろん、オリジナルの作者が見逃していた間違いが見つかるのは、些細な副作用にすぎません。それ以上に、300ページを超える本全体が日本人の読者の母国語で読めるようになっているということが重要な成果です。オンラインで無料で読むこともできますし、お好みであれば、プロの手で印刷されて製本されたものも有償で読むことができます。

 

この意味について、ちょっと考えてみましょう。

 相対的にみて、この本の対象読者は多くありません。私はこの本をミリオンセラーにしようとは思っていませんし、それは出版元も同様でした。それにもかかわらず、フリーという考え方とオープンソースソフトウェアに関心があったからという理由で、2人の人間がこの本全体を日本語に翻訳しようと一歩を踏み出したのです。彼らの努力のおかげで、翻訳しなければ読めなかったであろう何百万人もの人々が、この本を読むことができるようになっています。おそらく彼らのほとんどは決してこの翻訳を読むことはないでしょうが、きっと読む人もいるでしょう — ちょうど私が、この本がどの言語に翻訳されるかは予想できないのと同様に、翻訳する人も私も、新しい読者が翻訳をどのように使うかは予想できないのです。

これは英語版がフリーで、制限のないライセンスで、オンライン上に公開されていたからこそ起こったことです。翻訳する人たちは、オリジナルを日本語に翻訳しようと自分たちで決めました。彼らは誰の許可も得る必要がありませんでしたし、私の協力がなかったとしても(もちろん、私は喜んで協力しましたが)すべての翻訳をやり遂げることができたでしょう。ここで述べていることは、オープンソースソフトウェアそのものと明らかに似ています。何かがフリーで公開されていて、外見がボランティアを惹きつける魅力を持っていた場合には、どんなことでも可能になるのです。私は自分の小さな本がこんなに多くの潜在的な新しい読者を獲得するとは思いもしませんでしたが、2人の翻訳者によって、それが成し遂げられたのです。

 フリーでないライセンスでリリースされた本の場合、つまり、伝統的な著作権に基づく制限があった場合はどうでしょうか? 残念ですが、そうした本は翻訳される多くの可能性の芽を摘んでしまっていると思います。たとえば、この本は日本語だけでなく、約60人の翻訳者によって8つの言語に翻訳されています。翻訳が既に完了している言語もありますし、まだ現在進行中のものもあります。そしてこの本は相対的にマイナーな本なのです! 本屋に並んでいるほとんどの本は(オリジナルの言語の範疇では)私の本より人気がありますが、翻訳されることは少ないのです。

これは少々残念に思えます。 私はこの本で、フリーソフトウェアプロジェクトがどのように動いているのかをわかりやすく説明しようとしていますが、フリーソフトウェアやオープンソースの原理が社会的または道徳的にどのような意味合いを持つのかについては、触れていません。しかしこの日本語版に向けた序文の中で、ちょっとだけ直接触れておくことにします。日本語版の翻訳は、オリジナルの本がフリーであることを2人のボランティアが最大限に活用したからこそ可能になりました。仮に同様の自由が多くの本に広まれば — むしろ、なぜすべての本に広まらないのでしょう? — 日本人は、より多くの洋書を日本語で読めるようになるでしょう。他の国の人々だって同じです。

 フリーソフトウェアの世界で何年も働いてきて、私は本の翻訳を出版するのにいちいち許可を求めなければならないのは変だと思っています。私の本で起こっていることは、ほとんどのフリーソフトウェアのドキュメントで起こっていることとまったく同じです。つまり「駄目」と言う人が誰もいないので、翻訳は自然発生的に始められます。あなたがこの日本語版を読むときには、この本に書いてある力学と同じ力が働いた結果として、この本があるのだということを心に留めておいてください。力学とは、既存の作品を自分たちの都合に合わせて改変する完全な自由が与えられていて、他人と協力するのも自由な場合に人々は何をするのか、ということです。日本語版が存在することで、こうした自由がソフトウェアだけでなく、書籍や他の種類の作品にも広まっていけば、とても素晴らしいことです。

日本語版の訳者である高木正弘氏と高岡芳成氏には心からお礼を申し上げます。彼らの忍耐強さと熱意を多くの読者が評価してくれることを願っています。



[1] 実際は DocBook と呼ばれる文書用のマークアップ言語を XML で記述し、Subversion で管理していました。 XML や Subversion に慣れない翻訳者もいたので、苦労していた人もいたのは事実です。