引き継ぎ

時には、何らかの役割 (パッチマネージャーや翻訳マネージャーなど) を受け持っている人がその作業を全うすることができなくなる場合もあります。 理由としては「作業量が自分の見込みよりずっと多かった」 「子供が生まれた」「転職した」など、いろいろなものがあるでしょう。

担当者がこのような状態に陥った場合、 それをすぐに自覚できないこともあります。 それは徐々に起こることであり、「もはや自分の任務を果たせない」 とはっきりわかる瞬間がないからです。 プロジェクトの他のメンバーは 「そういえば最近あの人をあまり見かけないね」 と感じることになります。 そして、ある日突然彼がものすごい勢いで活動を再開します。 しばらく作業をしていなかったことに負い目を感じて 「徹夜してでもなんとか追いつこう」と感じているのでしょう。 その後、彼はまた (もっと長い) 沈黙期間に入ります。 しばらくしてまた突然復活するかもしれませんし、しないかもしれません。 正式に「この役割から退きます」という表明があることはほとんどありません。 彼らは自分の空き時間を使って作業をしているのです。 引退を表明するということは、 自分の空き時間が今後ずっと少なくなってしまうということを自覚することです。 人はそれはなかなか認めたがりません。

したがって、あなた (と他のプロジェクトのメンバー) のすべきことは、現状がどうなっているのか (あるいはなにも起こっていないのか) を把握して、彼に状況を確認することとなります。 相手を責めるのではなく、友好的に問い合わせなければなりません。 状況を知ることが大切で、 人を不快にさせることが目的なのではないからです。 一般に、この問い合わせはプロジェクトの他のメンバーにも見えるかたちで行います。 しかし、何らかの理由で個人的に問い合わせたほうがいいと判断した場合は それでもかまいません。公開の場で問い合わせる主な理由は、 彼が「もう作業を続けることができない」という返事があった場合に その 次の 投稿、 つまり新しい担当者の募集につなげやすいからです。

時には、自分で引き受けた作業をこなす能力がないにもかかわらず、 それを自覚できていないかあるいは認めようとしない人もいます。 もちろん、作業を始めたばかりのころは誰でもうまくいかないものです。 複雑な作業を与えられた場合などは特にそうでしょう。 しかし、他のメンバーができる限りの支援をしてやっても なお彼が作業をこなせないとしたら、 彼にはお引き取り願ってだれか他の人に作業を任せるしかありません。 もし彼がそれに気づいていないのなら、だれかが教えてやる必要があります。 私が思うに、こんな場合の対応方法はひとつだけです。 ただ、その方法は何段階かに分かれるもので、 各段階がそれぞれ重要となります。

まずは、自分だけの思いこみではないということをはっきりさせましょう。 プロジェクトの他のメンバーと個人的に話し、 自分が持っている危機意識がみんなと同じくらいのものであることを確認します。 確認するまでもなく自明な状況であったとしても、他のメンバーと話すことで 「これからこういうことをしようとしている」 という気持ちを他のメンバーに伝えることができます。 通常は、この相談で相手に反対されることはないでしょう。 やっかいな仕事をあなたが引き受けてくれたということで、 むしろ感謝してもらえるかもしれません!

次に、問題となっている人に 個人的に 連絡を取ります。そして、やさしく (しかし要点をはぐらかすことなく) あなたが感じている問題点を伝えます。 できるだけ、具体例を挙げて伝えるようにしましょう。 可能な限りの支援をしたこと、 それにもかかわらず問題は改善しなかったことをはっきりさせておきましょう。 このメールを書くのにはかなりの時間がかかることを覚悟しなければなりません。 この手のメッセージの場合、 もし自分が書いている内容にちょっとでも確信の持てない箇所があるのなら、 最初からそんなメッセージは書いてはいけません。 彼が引き受けた作業をだれか別の人に任せたいと思っていること、 プロジェクトに貢献するには他にもいろいろな作業があるということも説明しておきましょう。 この時点では、あなたが他のメンバーと相談したことは まだ彼に言ってはいけません。 裏でこそこそ話が進められていたなんてことを知ったら 誰だって気を悪くするでしょう。

その後は、成り行きに応じていくつかの方法に分かれます。 たいていは、彼はあなたの提案に同意してくれるでしょう。 少なくとも否定はせず、進んで引き下がってくれることでしょう。 その場合は、引き下がることを彼自身で発表してもらうようにお願いします。 そして、あなたはその発表への返信で新たな候補者を募集します。

あるいは、問題があったことは認めるものの「もうちょっとだけチャンスがほしい (リリースマネージャーのような役割なら『あと 1 回だけ』など)」 とお願いされるかもしれません。 あなたはここで審判としての働きをしなければならないわけですが、 どう判断するにしてもそこに私情を挟まないようにしましょう。 そこで猶予を与えてしまっても、 単に苦痛をひきのばすだけのことにしかなりません。 このお願いを拒否する理由としてはっきり言えるのは、 これまでに何度もチャンスがあったということ。 そしてそのチャンスを生かさなかったからこそ今の状態があるということです。 以下に示すのは私が送ったメールの例です。 これは、リリースマネージャーの役割を引き受けながら その役割を果たせなかった人に対して送ったものです。

> もし私じゃダメだというのなら、喜んで別の人にこの役割を
> 譲ります。ただ、ひとつだけお願いがあります。決して無茶
> なお願いではないと思います。あと一回だけチャンスがほし
> いんです。次のリリースで私の能力を証明させてください。

言いたいことはよくわかります (できればそうしてあげたい) が、
今回については「あと一回だけ」というのはやるべきではないと
思います。

今回が初めてのリリースだったとかならともかく、もう既に6回
目か7回目くらいになるわけです。そしてその間ずっと、あなた
は期待通りの結果を出すことができませんでした (っていうこと
は以前お話しましたよね)。つまり、はっきり言えば「あと一回」
の段階は事実上終わっているわけです。結局のところ、この前の
[過去のリリース] がその「あと一回」だったんです。

最悪の場合は、相手が提案を拒否するかもしれません。 この場合は、ちょっと話がやっかいになることを覚悟しなければなりません。 ここにきて初めて、事前に他のメンバーとも話し合っていたことを明らかにします (ただ、相手の許可を得るまでは「誰と」話したのかは言ってはいけません。 あくまでも私的な相談だったのですから)。 そしてこのままではプロジェクトにとってあまりよくないということも説明しましょう。 何度も何度も、しかし決して威圧的にならないように注意して。 覚えておいてほしいのは、大半の役割については 新しい担当者が作業を始めた時点で移行が完了する (前任者が作業をやめた時点では ない) ということです。たとえば、バグマネージャーの資質が問題になっているのなら、 あなた (やプロジェクト内の主要メンバー) は いつでも新たなバグマネージャーを仕立て上げることができます。 前任者が新たなバグマネージャーの作業を邪魔したりしない限り、 前任者が作業をやめるかどうかは大きな問題ではありません。

ふとこんな考えが頭に浮かぶかもしれません。 「わざわざお引き取り願わなくたって、だれか補佐役をつけてやるだけでいいんじゃないの?」 「バグマネージャーにしたってパッチマネージャーにしたって、 別に 2 人いても何も問題はないんじゃないの?」

一見よさげに聞こえますが、一般的にこれはよい考えではありません。 マネージャーの役割がなぜうまく機能している (役立っている) のかというと、それは中央集権型だからです。 もし分散管理してもうまくいくような作業なら、 きっとはじめからそのようにしていることでしょう。 ひとつの管理作業を 2 人に任せると、 その 2 人の間のコミュニケーションというオーバーヘッドが発生します。 そして、お互い責任をなすりつけあう (「きみが救急箱を持ってくるんじゃなかったの?」 「まさか。ぼくは君が持ってくるものだとばかり思ってたよ!」) という危険性もあるでしょう。 もちろん例外もあります。複数の人間がうまくかみ合って作業が進むこともあるでしょうし、 複数の人間で行うのに適した作業もあります。 しかし、もともとその作業に適していないと思われる人にとっては あまり意味のないことでしょう。 彼が最初の時点で問題をきちんと把握していれば、 もっと早い段階で助けを求めてきたはずです。 いずれにせよ、作業がうまく進まないで 単なる時間の浪費になってしまっているのを見過ごすのはまずいことです。

だれかに手を引いてもらうようお願いするときに最も大切なのは、 プライバシーです。みんなに注目される中ではなく、 自分一人でどうするかを考える余地を残しておくようにしましょう。 私は、かつて間違いを犯しました。明白な間違いをです。 ある人に Subversion のリリースマネージャーを退いてもらい、 かわりに別の 2 人に任せようと考えたときに、 当事者 3 人に対して同時にメールを送ってしまったのです。 新たに任せる予定の 2 人には事前に個別に話を持ちかけており、 どちらもその気であることはわかっていました。 世間知らずで無神経な私は 「一通のメールを全員に送ってしまえば話は早いじゃないか。 こんな面倒なことはさっさと終わらせてしまおう」 と考えたのです。当時のリリースマネージャーもすでに事態を自覚しており、 きっとすんなり退いてくれるだろうと想定していました。

私は間違っていました。当時のリリースマネージャーは激高しました。 当然です。単に仕事を取り上げられたということだけでなく、 新しい担当者が 目の前に いるところでそれを言われたのですから。 彼が怒っている理由を知って、私は謝りました。 彼は結局私たちの提案に同意してマネージャーを退いてくれました。 その後も別の形でプロジェクトに参加し続けてくれています。 しかし彼は傷ついたでしょう。言うまでもなく、 新たにマネージャーを引き受けることになった側にとってもやりにくかったはずです。